那須 |
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| 実家の後片付けが済み、前々からのお誘いのあった、那須登山に出かけた。
関東在住の友人達は、この数年何度もトライしているのだが、いつも、強風にはばまれ、登れなかった山だそうだ。
今回私用で参加できない、酒田の、先輩からも、 「そんなことは、決してないだろうけど、風がないといいですね」 というメールが入った。
週間天気予報では、曇り!
高崎に弟のお参りに来てくれたA子ちゃんが、 「天気は期待できそうもないよ」 と、言い残して帰って行った。
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| しかしながら、いざ、当日!!
なんと良い天気か!!
前日は、ロープウェーも動かないほどの強風だったのがウソのよう!!
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| 茶臼、朝日、三本槍と、順調に踏破し、三斗小屋温泉煙草屋さんに。
皆に、 「この天気が、那須のいつもの天気だと思ってはいけないよ・・・」と何度も、お酒を飲みながら、言われる。
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| 次の日、今月で、閉めるという、煙草屋さんを後にする。
前日あまりの天気の良さに、予定のコースを全部歩き終わってしまい、行くところの無くなってしまった我々も出発!!
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| 姥が平で、昨夜食べ残した、おでんとししゃもで、再度宴会!!
帰りの新幹線を繰り上げて戻った!! たぶん、今年最後の山行。 良い〆だった!!
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Sunday, 26, Nov 17:40 | トラックバック(0) | コメント(0) | 山 | 管理
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後片付け |
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| 4月に、弟が倒れたとき、母を老人ホームに入れた。
弟は、8月に退院したが、母がいなくなって、がっくりしたのだろう。 もしかしたら、今度の再入院は、死を覚悟したものだったのだろうと思う。
母がいなくなり、弟が居なくなり、実家は、誰もいなくなった。 実家といっても、10年前に買ったマンションで、私は、住んだこともない家だが・・・。
それでも、この数年の二人の生活の跡があふれかえっている!!
何もかも後生大事にとってあるが、思い切ってどんどん捨てていく。 しかし、途中から、ずっと以前亡くなった、父の遺品などが出てきて、捨てきれなくなってしまった。
昼間は、弟の貯金や、不動産を、母に相続させるために、郵便局、銀行、市役所、証券会社、法務局・・・。 なぜか、印鑑が見つからない! しかたなく、三文判を実印に登録。 老人ホームの母に、委任状に、名前だけ書いて貰って、行ったり来たり。 夜になると、片付け。 最初のうちは、夜、2時3時まで眠れず、片付けをしていたが、だんだん、12時頃には眠れるようになった。 朝も、まだ暗くても、時計を見て、5時過ぎから、起きて、片付け。
22日の燃やせないゴミと、23日の燃やせるゴミの日を目標に頑張った。
印鑑が見つかったのは、最後の22日。 台所の、シンクの上の棚の一番上。 真新しい、麦茶の箱・・・、でも、きっともう、賞味期限切れてそう・・・。捨てようとして、ふと、中を見たら、印鑑がごそっと入っていた。見て良かったぁ! その下にあった、甘栗の袋。 日付を見たら、平成13年。 「え~!5年前の甘栗って、どうなってるの?」 開けてみたら・・・なんと、札束!!300万円也!! 全部手続きが済んでから、見つかるなんて!! これらがもっと早くあったら、どんなに楽だったことか!! でも、早いうちに見ていたら、日付を見て、すぐに捨てていたかもしれない。
やっと、片付いてきたな・・・と思えだしたのが、22日夜10時を回った頃!!
23日朝は、5時に起き、最後のゴミを出し、お風呂に入って、最後の、ガス屋さんと、保険屋さんを待った。
母のお友達だという、保険屋さんにはお世話になったので、1口くらいおつきあいしなくては・・・と、覚悟していたので、マンションを閉め、保険の営業所に行き、おつきあいで、パートナーに保険をかける手続きをして、列車に乗った。
結局は、一つの銀行と、証券会社と、長野県の土地の所有権移転の手続きが、来月に持ち越してしまったが、まずは、後片付け終了!!
メチャクチャな、2週間だった。 ご焼香に途中来てくれた、叔母さんや、従姉妹、そして、ブログを見て、福島から来てくれた、A子ちゃん、ありがとう!!
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Thursday, 23, Nov 19:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 介護 | 管理
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弟の死 |
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| 弟が亡くなった。
10月初め、再入院。
一時危ないときもあったが、持ち直し、長野の叔母達が定期的に行ってくれていたので、安心していた。
急激に病状が悪くなったっと電話が、朝来た。
どうしよう、どうしよう・・・
と思っているうちにお昼過ぎに、亡くなったという、知らせ。
他人の言うことを素直に聞かない所があって、親戚の中でも浮いていた弟だった。
私も、腹の立つことが多くて、最後は、唖然として、何も言わずに別れてきた。
そんなこともあって、今度の入院は、わざと、少し間隔を置いて、接したいと思って、叔母達に頼んでいた。
こんなに早く亡くなるとは・・・、思っても見なかった。
遺品を整理していて、私が、最後に勧めていたこと・・・、始めていたことが分かった。
普段かけている眼鏡も、おいて入院していたことが分かった。
叔母達だから、遠慮があって、持ってきてくれるよう言えなかったのだろうか?
いや、もしかしたら、死ぬことを予想して、入院したのかもしれない。
・・・などと、考えていたら、いたたまれなくなってしまった。
弟を殺したのは、私だ!!
食事ものどを通らないし、眠ることも出来ない!!
後悔ばかりが、頭に浮かんでくる。呼吸が出来ない!!
とうとう、東京まで、逃げ帰ってきた。
浅草について、外に出たら、ものすごくほっとした。
弟、ゴメンね。
ちょっと、元気を取り戻したら、帰って、後始末の続きをするからね。
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Thursday, 09, Nov 21:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 介護 | 管理
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