beryoskaの週間日記
 
鹿児島から群馬に・・今はニカラグアにいます。投稿できませんので、ホームページのBBSにお願いします。
 



2006年11月を表示

那須

実家の後片付けが済み、前々からのお誘いのあった、那須登山に出かけた。

関東在住の友人達は、この数年何度もトライしているのだが、いつも、強風にはばまれ、登れなかった山だそうだ。

今回私用で参加できない、酒田の、先輩からも、
「そんなことは、決してないだろうけど、風がないといいですね」
というメールが入った。

週間天気予報では、曇り!

高崎に弟のお参りに来てくれたA子ちゃんが、
「天気は期待できそうもないよ」
と、言い残して帰って行った。



しかしながら、いざ、当日!!

なんと良い天気か!!

前日は、ロープウェーも動かないほどの強風だったのがウソのよう!!



茶臼、朝日、三本槍と、順調に踏破し、三斗小屋温泉煙草屋さんに。

皆に、
「この天気が、那須のいつもの天気だと思ってはいけないよ・・・」と何度も、お酒を飲みながら、言われる。



次の日、今月で、閉めるという、煙草屋さんを後にする。

前日あまりの天気の良さに、予定のコースを全部歩き終わってしまい、行くところの無くなってしまった我々も出発!!



姥が平で、昨夜食べ残した、おでんとししゃもで、再度宴会!!

帰りの新幹線を繰り上げて戻った!!
たぶん、今年最後の山行。
良い〆だった!!



Sunday, 26, Nov 17:40 | トラックバック(0) | コメント(0) || 管理

後片付け

4月に、弟が倒れたとき、母を老人ホームに入れた。

弟は、8月に退院したが、母がいなくなって、がっくりしたのだろう。
もしかしたら、今度の再入院は、死を覚悟したものだったのだろうと思う。

母がいなくなり、弟が居なくなり、実家は、誰もいなくなった。
実家といっても、10年前に買ったマンションで、私は、住んだこともない家だが・・・。

それでも、この数年の二人の生活の跡があふれかえっている!!

何もかも後生大事にとってあるが、思い切ってどんどん捨てていく。
しかし、途中から、ずっと以前亡くなった、父の遺品などが出てきて、捨てきれなくなってしまった。

昼間は、弟の貯金や、不動産を、母に相続させるために、郵便局、銀行、市役所、証券会社、法務局・・・。
なぜか、印鑑が見つからない!
しかたなく、三文判を実印に登録。
老人ホームの母に、委任状に、名前だけ書いて貰って、行ったり来たり。
夜になると、片付け。
最初のうちは、夜、2時3時まで眠れず、片付けをしていたが、だんだん、12時頃には眠れるようになった。
朝も、まだ暗くても、時計を見て、5時過ぎから、起きて、片付け。

22日の燃やせないゴミと、23日の燃やせるゴミの日を目標に頑張った。

印鑑が見つかったのは、最後の22日。
台所の、シンクの上の棚の一番上。
真新しい、麦茶の箱・・・、でも、きっともう、賞味期限切れてそう・・・。捨てようとして、ふと、中を見たら、印鑑がごそっと入っていた。見て良かったぁ!
その下にあった、甘栗の袋。
日付を見たら、平成13年。
「え~!5年前の甘栗って、どうなってるの?」
開けてみたら・・・なんと、札束!!300万円也!!
全部手続きが済んでから、見つかるなんて!!
これらがもっと早くあったら、どんなに楽だったことか!!
でも、早いうちに見ていたら、日付を見て、すぐに捨てていたかもしれない。

やっと、片付いてきたな・・・と思えだしたのが、22日夜10時を回った頃!!

23日朝は、5時に起き、最後のゴミを出し、お風呂に入って、最後の、ガス屋さんと、保険屋さんを待った。

母のお友達だという、保険屋さんにはお世話になったので、1口くらいおつきあいしなくては・・・と、覚悟していたので、マンションを閉め、保険の営業所に行き、おつきあいで、パートナーに保険をかける手続きをして、列車に乗った。

結局は、一つの銀行と、証券会社と、長野県の土地の所有権移転の手続きが、来月に持ち越してしまったが、まずは、後片付け終了!!

メチャクチャな、2週間だった。
ご焼香に途中来てくれた、叔母さんや、従姉妹、そして、ブログを見て、福島から来てくれた、A子ちゃん、ありがとう!!



Thursday, 23, Nov 19:53 | トラックバック(0) | コメント(0) | 介護 | 管理

弟の死

弟が亡くなった。

10月初め、再入院。
一時危ないときもあったが、持ち直し、長野の叔母達が定期的に行ってくれていたので、安心していた。

急激に病状が悪くなったっと電話が、朝来た。
どうしよう、どうしよう・・・
と思っているうちにお昼過ぎに、亡くなったという、知らせ。

他人の言うことを素直に聞かない所があって、親戚の中でも浮いていた弟だった。
私も、腹の立つことが多くて、最後は、唖然として、何も言わずに別れてきた。
そんなこともあって、今度の入院は、わざと、少し間隔を置いて、接したいと思って、叔母達に頼んでいた。

こんなに早く亡くなるとは・・・、思っても見なかった。

遺品を整理していて、私が、最後に勧めていたこと・・・、始めていたことが分かった。

普段かけている眼鏡も、おいて入院していたことが分かった。

叔母達だから、遠慮があって、持ってきてくれるよう言えなかったのだろうか?

いや、もしかしたら、死ぬことを予想して、入院したのかもしれない。
・・・などと、考えていたら、いたたまれなくなってしまった。

弟を殺したのは、私だ!!
食事ものどを通らないし、眠ることも出来ない!!

後悔ばかりが、頭に浮かんでくる。呼吸が出来ない!!

とうとう、東京まで、逃げ帰ってきた。

浅草について、外に出たら、ものすごくほっとした。

弟、ゴメンね。
ちょっと、元気を取り戻したら、帰って、後始末の続きをするからね。



Thursday, 09, Nov 21:02 | トラックバック(0) | コメント(0) | 介護 | 管理


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